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★メモ用

Sep 01, 2006

[][]指標と表現[(独)Anzeichen und Ausdruck] 指標と表現[(独)Anzeichen und Ausdruck] - suneoHairWax::sociology を含むブックマーク

現象学事典』より。

指標と表現の区別、つまり指示記号と意味記号との区別とは、フッサールが『論理研究』II/1の第一研究「表現と意味」で行った記号分類上の区別である。

「指標」(Anzeichen)とは、指示対象を識別するだけの「メルクマール」とか「烙印」、ないしはチョークによる目印といった種類の記号をいう。「指標」の本質はその指示機能にあるが、それは「それとは別の対象や事態の存立についての確信、ないしは憶測の動機となる」機能をいう。したがって、「指標」はそれ自体、具体的な意味内容を表現しているのではない。

それに対して、「意味」を持つ記号、つまり「意味機能」(Bedeuten)を果たしている記号が、「表現」なのである。フッサールは、「表現」を、表情や身振りなどのように「思想内容」を表現しようという意図が欠けている単なる「表出」から区別している。

言語表現は、他者とのコミュニケーションにおいて、事物を指示する機能、つまり「指示機能」と、伝達者(記号産出者)のその瞬間の心的体験を意図的に告知する機能、つまり「告知機能」を果たしている。

しかしながら、言語表現は他者とのコミュニケーション以外においても、たとえば「孤独な心的生活」といった場面でも「内部言語」として使用される場合があり、その場合には他者に対して何ものかを指示したり、自分の心的体験を告知するといった必要性は生じない。しかし、その場合でも、何ものかを「意味している」という機能は失われないでいる。むしろこの「意味機能」こそ、言語表現を有意味的表現たらしめている本質的機能である。

宮原勇)

[][]孤独な心的生活[(独)einsames Seelenleben] 孤独な心的生活[(独)einsames Seelenleben] - suneoHairWax::sociology を含むブックマーク

現象学事典』より。

他者とのコミュニケーションを閉ざしたままでの内面的意識生活を、フッサールは「孤独な心的生活」と呼ぶ。

フッサールは『論理研究』の第一研究「表現と意味」の冒頭で、記号を二つのカテゴリー、すなわち「指示記号」と「意味記号」に分類するとともに、記号の機能として三つ挙げている。つまり、原則として言語外の事物を指示する「指示機能」、とくに発話者の心的内容を告知する「告知機能」、そして純粋に「意味」内容を意味する(bedeuten)「意味機能」の三つである。この「意味機能」を果たしている、いわば有意味的記号を、「表現」と呼ぶ。とくに言語記号の場合、指示機能や告知機能は、〈話者が何ものかについて聞き手に述べる〉というコミュニケーション的状況において発揮されるが、しかしフッサールによれば、「表現」は「独語」のような「孤独な心的生活」においても「意味を持った記号として」機能する、つまりそこでも「意味機能」は働いているという。思考、ないしは「自らの心の中だけの」話の場合には、聞き手がいないのであるから、「指示機能」や「告知機能」は必要ないわけで、残るは「有意味的」記号として意味を担う機能だけとなる。そのようなコミュニケーション的状況における言語使用では、まず(1)他者の存在と、(2)言語表現の物理媒体(「音声」や「インクのしみ」など)とが前提され、上記の「指示機能」と「告知機能」が遂行されるのだが、フッサールは「内部言語」(internal speech)などの場合でも、言語表現の「有意味性」が保たれていると考え、言語表現の本質的機能は、コミュニケーション的状況においてではなく、「孤独な心的生活」という場面においてこそ顕在化されると考えた。

そのような一人称的な心的体験への意味論的「還元」は、フッサール現象学の中につねに働いているデカルト的動機、すなわち〈「孤独化」と「省察」による哲学的基礎づけへの志向〉の典型例である。

宮原勇)

Jul 01, 2006

[][]カセクシス カセクシス - suneoHairWax::sociology を含むブックマーク

フロイトの用語で、心的エネルギーのこと。またそれがリビドーとして、対象に供給・備給される過程、またはその程度のこと。対象に「カセクトする」という言い方もする。

パーソンズは『行為の一般理論をめざして』(1951、以下TGTA)において提出される「行為者(主体)‐状況(客体)図式」のなかで、行為者が客体に向かおうとする「志向」をカテゴリー化し、そのなかに「カセクシス的動機志向」を位置づけている。

志向は、まず(1)動機志向と(2)価値志向に分解される。行為者の志向には、欲求充足(=動機志向)と価値へのコミットメント(=価値志向)との二側面が含まれている。

動機志向は、(a)認識的、(b)カセクシス的、(c)評価的志向に分解される。

価値志向は、(a)認識的、(b)鑑賞的、(c)道徳的基準に分解される。

「感情affectとカセクシスcathexisとを区別することは、当面の目的にとって望ましいことである。感情は有機体のある状態――上機嫌euphoriaあるいは精神不安dysphoriaまたはこれらからの質的派生体の状態――を指す。カセクシスという言葉は、感情という言葉よりもより広い意味を持っている。すなわち、それは感情プラス客体である。客体に志向した感情である。それは客体に感情的意味を与えることを含むものである」(TGTA:10)。

なお、この図式から中期パーソンズの「パターン変数」が導かれる。


パターン変数

May 30, 2006

[][]単位行為 unit act 単位行為 unit act - suneoHairWax::sociology を含むブックマーク

初期パーソンズの主意主義的行為理論における「具体的な行為諸現象を有意味に分析するさいの『もっとも基本的な単位』」で、「社会的行為social action」と同義。actor(行為者)・end(目的)・situation(手段と条件)・normative orientation(規範的志向)の四要素から構成される(『社会的行為の構造』1937、以降SSA)。

(1)行為者とは、人間あるいは物質的な有機体ではなく、自我(Ego)あるいは自己(Self)と考えられている。肉体や精神は、行為者にとっては環境であり、行為の状況(situation)である。

(2)目的とは、「行為者によって望ましいとみなされているがゆえに、ある行為がをれへと方向づけられているような未来の事態」(SSA:75)である。これは「具体的目的」と「分析的目的(=行為者の行為によってもたらされる限りでの未来状態)」とに区別される。

(3)状況とは、行為者の主観的観点からしてコントロール可能な「手段」とコントロールしえない「条件」に区別される。

(4)規範的志向とは、目的と状況との関係様式であり、目的を実現しうる複数の手段の中から、ある特定の手段を選択させる基準を「規範」という。

すなわち行為者は、〈目的定立〉〈手段の選択〉〈意志と努力〉し、これらを〈主観的観点から理解〉することから、この概念図式は主意主義的性格をもつといえる。

→主意主義

May 07, 2006

[]目的合理性/目的合理的行為 目的合理性/目的合理的行為 - suneoHairWax::sociology を含むブックマーク

Zweckrationalität/zweckrationales Handeln

  • 弘文堂

ある行為が、一義的に捉えられた目的にとって行為者自身が適合的と考える手段にもっぱら指向してなされるとき、この行為が準拠する基準を目的合理性といい、こうした行為を目的合理的行為という。M.ヴェーバーは、この概念を、価値合理的・感情的伝統的行為ならぶ社会的行為の一類型として位置付けた。このとき目的合理的行為は、一般に予期に準拠したものとなる。すなわち、外界の対象や他者のふるまいが予期され、この予期が合理的に追求されるべき目的のための条件や手段として利用されるのである。それゆえまたこれには、可能な随伴結果の予期とその評価も含まれる。しかし目的合理性は、あくまでも行為者の抱く主観意味に定位する点で機能的合理性やシステム合理性と異なっており、さればこそ理解社会学の基礎範疇となる。(中野敏雄)

Jan 15, 2006

[]アレゴリー アレゴリー - suneoHairWax::sociology を含むブックマーク

ゲーテは次のようにいっている。

知力(Verstand)や機知(Witz)、ギャラントリーなどが輝いている芸術作品もあり、そのなかにすべてのアレゴリー的なものを含めることができる。アレゴリー的なものに期待しうるのは、少なくとも良さである。というのは、描写(Darstellung)そのものへの関心をも破壊し、精神をいわば自己自身のなかへと追い返し、精神の目を実際に描写されているものから遠ざけているからである。アレゴリー的なものと象徴的なものとは、表示法が前者は間接的であるのに対して、後者は直接的である。という点で区別される。(Goethe, Schriften zur Kunst,S.125)

Jan 12, 2006

[]ミメーシス [[ミメーシス]] - suneoHairWax::sociology を含むブックマーク

美学

「模倣」(imitation)には両義性があるとされる。第一に、「人が人を」模倣する場合、これは行為・作業を表す概念である。第二に、「物が物を」模倣する場合(日本語にはこの用法はないが)、《その結果としての物の在り方もしくは像同士の間の関係をいう記号学概念である》(佐々木[1995:45])。

この区別に対応させるために、前者ラテン語のimitatio、後者ギリシア語のmimêsisが用いられることがある。

竹内敏雄は「倣う」と「写す」と使い分けている。




現代思想

ミメーシス(Mimesis)概念には遠くギリシア以来の、芸術定義の問題が結びついている。すなわちアリストテレス?の「自然模倣=芸術」という定義に典型化された芸術観が、歴史概念としてのミメーシスの土台といえよう。

しかし現代思想のアクチュアルな課題としてのミメーシスを問おうとするとき「希望哲学」の根源的媒介項としての、「救済と解放」のユートピア的契機としてのミメーシス概念が問われなければならない。このときこうしたミメーシス概念に本質的に関わっているのは、アドルノ?とベンヤミン?である。

アドルノは「美学理論」の中で次のようにいっている。「ミメーシス的方法、すなわち主観と客観の対立の固定の手前(デイースザイツ)にある現実に対する態度は、ミメーシスタブー以来(プラトン?による「共和国」からの芸術追放以来――筆者)、ミメーシスの機関(オルガン)としての芸術を通じて仮象シャイン)のものとなり、形式の自律性を補完しつつ仮象の担い手となる」

アドルノにとってミメーシスは、自然と主体、あるいは自己と他なるものが互いにその差異を承認しあいながら出会いうる非同一的=同一性の、別の言い方をすればいかなる「支配の暴力」の影も宿さない自―他関係の境位を指し示すものである。それは「同一性」が「支配の暴力」として機能する「啓蒙」以降の虚偽の社会において、唯一芸術=美の仮象=顕現(シャイン)においてのみネガユートピア的にかいまみられうるのである。

ベンヤミンアドルノユートピアイメージに彩られたミメーシス概念より一歩ふみこんで、ブルジョア的近代?喪失した太古における宇宙規模でのコレスポンデンツ(交感)の把持能力としてミメーシスを捉える。

「――むかし類似の法則によって統治されているようにみえた生物圏は、広く包括的であった。小宇宙の中でも大宇宙のなかと同じように類似が支配していたのだ。そして、自然がおこなうあの交信(コレスポンデンツ)がその本来の重要さを獲得するのは、それらすべて例外なく、人間の内部にあってあの交信に応じる模倣能力に対して、刺激剤ないし喚起剤として作用するのだという認識が成立するときである」(「模倣の能力について」佐藤康彦訳)

ベンヤミンの「模倣能力」(ミメーティッシュ・フェアメーゲン)は、ベンヤミンの最も固有な問題であるアレゴリー?認識、すなわち始源の存在布置(コンステラツィオーン)(星座)とその破砕された「断片」(シュトゥク)としてのアレゴリー廃墟)のあいだの本質的な照応(コレスポンデンツ)――それはいつか始源のコンステラツィオーンが復元される可能根拠ともなる――につながる。

ベンヤミンが構想する硬化し、石女*1化してしまった過去の救済のモティーフ――それはベンヤミンにおける「希望弁証法」の契機である――を支えているのは、この「模倣能力」としてのミメーシスに他ならない。

高橋順一

はてなダイアリー - 現代思想を読む事典



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*1:うまずめ。差別語です(hidex7777)。

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